会員紹介 瀧山祟様

会員の瀧山崇様よりご寄稿いただきましたので紹介いたします。

 

1, 上智大学入学の経緯
小生の兄が慶応大学工学部修士課程におり、論文作成課程で外部接触した複数のひとから、上智大学理工学部の実験、研究設備は非常に優れているとの情報を入手した。そこで、小生に受験を促したので、受験をし入学した。
入学後、判ったのは、ドイツの税制で、教育への投資は、税金控除される事から行われたようです。
クルップホールには、高級な工作機械が有りました。

2、クラブ活動の選択
中学生になってから、父親にスキーに連れていってもらいスキーに興味を持ち、スキー部への入部を試みた。
ところが、理工学部の留年率が高いことから、大学から理工学部の人は入部させないよう指示がでており、入部を拒否された。

3.自動車部への入部
理工学部の人が多いという情報を得て入部した。

4.自動車部の状況
上級生が権力を行使しており、学内で同級生の誰かが挨拶を怠ると、部室に集められ説教され、体罰として、正座させられ、さらに自動車用バッテリーを持たされた。非常に苦痛であった。約30名いた同期の部員はやめる者が続出して、4名となった。
1年後輩も約30名入部したが、女性部員1名を除き、全て退部した。
今で言う、上級生のパワハラの横行であった。

5.クラブの運営
3年生になり、クラブ運営に関わるようになった。
学生自動車連盟は競技として、ラリー、フィギュア、自動車整備を行っていたが、全てに参加するのは、部員数、費用を考慮すると困難であり、ラリーだけに絞った。

6.ラリーの戦績
4年生の時、全関東学生連盟2部で優勝し、夏休みに北海道で行われた、全日本大会で3位に入賞した。
実は、直前に17.000円の車を購入したが、エンジン不良から、ゴール直前に車が停止してしまった。
15分のロストタイムを使用した為、時間的には圧倒的に優れていたが、3位となってしまった。
この結果は、翌日の朝日新聞スポーツ欄に掲載された。

7.卒業後の状況
JAFの公認ラリーに何回か参戦し、常に上位に入っていた。
プロのラリードライバーになることも考えたが、スウェーデンしか生計が成り立たないことが判り断念した。

以上

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