ラテンアメリカ50年、個人的体験と ものづくり(5/5) 大竹茂様

2024年11月の第17回会員大会でご発表いただきました大竹様よりご準備いただいた原稿と写真を頂戴いたしました。5回に分けて公開させていただきます。

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最後に

  ここまで、私の50年に亙るラテンアメリカとの関りの中のいくつかについてお話をさせていただいたわけですが、Positiveな面よりNegativeな面の方が多かったような気がします。

また、当時はラテンアメリカ特有の問題と思われていたことが、気候変動問題のように、今では日本も含めてグローバルなテーマになってきているものもあります。
従って、これからは、ラテンアメリカを見る目も変えていかなくてはいかないかもしれません。

結論として言えることは、国がどうであれ、法律がどうであれ、私たちはその中で生きていかなければならないわけで、不平不満を言っていても何の解決にもなりません。要は、そのような中にあっても、あるべき自分を決して失わず、したたかに生きていくことではないかと思います。

たとえ、国家や法律が信頼できなくても、そこに住む人々はみんな親切で、優しくて、涙もろくて、人情味の厚い人たちばかりでした。
従って、私にとってラテンアメリカは、人間的で、今も興味の尽きない愛する国々であり、また、今後もそうあって欲しいと願っています。

最後に、私の好きな3つの言葉をお話しして、本日の私の話を終わらせていただきたいと思います。

1.En todas las cosa de la vida,se puede encontrar placer,si se sabe saborearlas.
人生のすべてに喜びは見い出せる、
もし、それを味わう術を知っていれば。
これは、スペインの哲学者であるAngel Ganivetの言葉です。

2.   後の二つは、詩人茨木のり子の詩です。

<自分の感受性くらい>

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 

<倚りかからず>

もはや
出来合いの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

自分の耳目
自分の二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子のせもたれだけ

 

ご清聴ありがとうございました

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